4年間ソウルに住んで。(1)

4年間。長かったのだか短かったのかわからない。
初めて一緒に住む人ができたことからの愛着もあって、結局のところ、離れたくなかったのだと思う。けれども今や、ついに、何かしらの変化ある時は常にそうである、そんな「臨界点」に達してしまった、と感じられる。だから、どれだけの期間になるかは未定なもののーニュージーランドへのワーキングホリデーに。

4年間も住んだのに、半ばびっくりするほど寂しさとか感慨がない。
さばさばしている気分。もう「살 만큼 살았다」(住むだけは住んだ、と訳せるか)というか。明後日には引っ越しだというのに。もう、荷物は95パーセントくらい整理した。一日中本やパソコン画面とにらめっこしてるより、こうやって体を動かす方がなんか良いな、と再発見。

ヘバンチョン。Haebangchon、の頭文字を取って、HBC、ともヒップを気取る界隈で呼ばれたりもするこの町は、南山の麓にあってかつて朝鮮戦争時の脱北者たちが形成した貧しい村だった。その娘息子と、そのまた娘息子からなるコミュニティが形成されてきたわけだけど、時代は変わる。私がここに住み始めて2年目、2014年くらいから急速にジェントリフィケーションが進行、やたらとおしゃれさをアピールするカフェ、そしてセレクト本屋みたいなのが雨後の筍のように連立し始めた。最初に私が来た時は、コミュニティスペース+カフェ的なお店、ビンカゲ(注1)もあったのだけど、それも家賃の1.5倍上げにより閉店。それでもコミュニティスペースをということで、ソンゴンフェ大学の移住労働者を支援するNPOのような教会と共にヘバンチョン・イヤギ(「イヤギ」は話、物語を意味)を立ち上げるも、またまたの家賃の値上げによって後を終われる。それで何と今は、そこがゲームセンターになっているというオチ。なんとも寂しい光景だ。

(注1)「ビン」は空っぽ、「カゲ」はお店を意味する。ここはビンチブ(「チブ」は家を意味)という若者の共同住居コミュニティの財政源でもあった。ビンチブについて語るには韓国の高い住居制度に言及することがマストだ。韓国では保証金がワンルームを借りようにも日本円で最低50万円は必要。正規の職についていない若者にとってこの額は(とりわけ韓国の最低賃金は700円代ということを考えると)親に依存しないでは払えないに等しい。それで、この保証金を共同で出し、入居者は月に家賃をかつては1万円くらい、今は2万円くらい払いながら暮らしている。

ヘバンチョンに最初に来た時は、何が良いってやっぱり景色がよかった。当時あったスユノモRという研究者コミューン(注2)から眺めたソウル一帯。すごく気持ちが良かった。それに、人々。日本ではザ・隣は他人、という環境を生きて来たから、その土地のコミュニティがあって、活気があって、会ったら挨拶して、っていうレベルでもうすごい良かった。これまで味わったことのない感じ。スユノモRの前にはヘバン教会があって、そこには毎日5、6人のハルモニたちが座り込んでおしゃべりしてるのとか。そこだけじゃない。軒先があればそこにアジュモニ、ハルモニは寄りあつまる。雑談が開始する。その感じ、パワーは私にとってすごく新鮮だった。よく行くブンシクチブ(韓国の軽食、キンパプとかトッポギを売っている)のアジュモニとかは日本人だとわかるとからかって、行くたびに軽くジョークを飛ばしたりで、なんかほっこりした。

(注2)そしてまず研究者コミューンについて言っておくと、これは大学が日本よりずっと保守的な存在である韓国で、大学の外部でセミナーや講義ができる自律的空間を作ろうということで正規の職を持たない研究者たちが始めたスペース。この先駆けがスユノモで、スユノモRはスユノモ分裂後にできたものの一つ。とはいえ、ホンデの方にあるスユノモNとは対照的に、スユノモRには大学に籍を置いた研究者はいなかった。

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