家探しと引越し@韓国、ソウル
「정신이 없다」——という言葉が自然と湧き出る。来学期に修士論文を書くことにするかの決定もずるずると後回しにしながら、義理の両親がやってくるというので掃除にインテリア選びにと時間を割いていたこの一週間ほど。久しぶりに学校に行く用があって行ったところ、行きも帰りも乗るべきバスを間違え、仕舞いには帰りの電車のホームに荷物を置き忘れるという失態まで犯す有様(戻ると、水筒くらいしか入っていなかったからか、無事同じ位置にあったので一安心)。
「精神がない」くらいに直訳できるが、それでは全然意味は伝わらないだろう。忙しくて、慌ただしくて、「정신이 없다」。ここに心なし——それであれこれと取りこぼす、ミスをする、連絡を怠る、というような状況で、「これしかない」くらいの勢いで頭に浮かぶワードだ。
それくらい、韓国生活は長くなった。
この8年の間に引越した数はもう5回にもなったけど、結局最初に引越した場所で最長の4年を住んだことになる。それからというもの、引越したはいいものの、なかなかここに住み続けたいという場所には出会えなかった。
2番目に引越した場所は、スーパーの裏手にあったため、室外機の騒音が24時間鳴り続ける場所で、私的には「居住不可能」な状態だった。その次も、そのまた次も、色々あって(これは話がとても長くなる)やはり引越したくなった。そして今回。
私と同居人が利用するチョンセ(これはもういろんな人が解説してるから説明は割愛)のローン制度は手続きに他よりも時間がかかるので大家が好まず、入居できる家がかなーり限られている。だから、ネイバー不動産や직방とか다방といったメジャーなアプリ/サイトよりはネイバーのカフェ(もし必要な人のために:청년주택정보 카페)に常時目を光らせながら家をチェックして良さそうな家が見つかったら即!内見申し込み(通常は住民あり)→良いと思ったら即決!くらいでないとまともな家を契約できない。
私はいろんな失敗を重ね、今回は住み続けたくなるような家を探すため妥協をするものかと決心して家探しに臨んでいた。だから条件がゆるい同居人は「ここいいじゃん」「ここにしよ〜」と言ってくる部屋も、次々と却下してついに自分でも良いかも、と思ったのがこの家だった。
その経緯も結構ドラマチック。ある部屋に内見をしようと、同居人とその部屋の最寄り駅で待ち合わせていたのだが、同居人がまさしく私がいたカフェの最寄駅にさしかかるところで内見予定の部屋が契約され、失意のままビビンククス(ヴィーガンでも美味しいと有名な、かの망향비빔국수!TMIか)を食べていたところ、私が当のサイトを閲覧してて発見した部屋だったのだから。私たちが初の内見。同居人は興奮した様子、私もふむふむという感じで部屋を出て、少し話し合ってから、仮契約することになった(またここにも色々とあったのだが、それはまた別の機会に)。
そして引越し当日。
今回もまた、母に聞くと「楽々パックか」という言葉が返ってきた、そう、韓国版楽々パックの보장이사(直訳すると、「包装引越し」)。私たちは二人暮らしで家電も少し増え、けれども場所は近いので、100万ウォンだった。
引越し当日は8時に引越し屋さんが来るという話だったが、7時半すぎには到着したと連絡が。急いで準備をする。中高年の男性が三人と女性が一人。ここでもジェンダー役割分担がと思わされるが、女性はキッチンを担当し、男性がそれ以外を運ぶ。引越しをするときは毎回だけれど、もちろんその手際の良さには感心しつつ、普段だったら自分たちが持ち上げないような重たいものを力一杯持ち上げ、運んでいるのを見ると、どこかそわそわした気分、体を悪くしないでという気分になる。というのも、前回の引越しで頼んだ業者の一人は、体格もどっしりと大きく、冷蔵庫や木製の重厚なテーブルさえも一人で持ち上げていて、いやぁこんな力持ちがいるものか!と思ったものだけど、今回は連絡を取っても連絡先が途絶えてしまっていた。あんなにどこか体を悪くしたのではと思わず心配になってしまったのだった。
基本的には引越し屋さんが荷造り・梱包から移動まで全てしてくれるので、私はできるだけ手持ち無沙汰にならないように掃除に徹する。これまた日本とは違う点だけど、韓国では家が綺麗な状態で引っ越すということは、分譲されたアパート(日本で言うマンション)の部屋を事前に掃除業者に掃除してもらうといったことがなければほぼ、ない。そして引っ越す人と入居してくる人が同じ日にということも一般的。だから次の人がどれだけ「マシ」な状態で部屋に引っ越せるかはかなりの程度、自分にかかっている。私たちが入居時に引き受け、そのまま引き渡す木製のテーブルを拭きながら、特にこのことを思ったのだった。色々あった中でも2年近くを過ごし、去ることになった部屋。引越し屋さんが移動し、テーブルと私だけが残されたその部屋で。「モチベーションって、こういうことなのかもしれない」、と。別に自分があえて頑張らなくてもいい状況でも、少しでも頑張ろうとすること。それは、曖昧であれ自分がしたことの結果を受け取ることになる相手を想像できるから。だから、「少しでも」良い状況を作り出そうとするのかもしれない。
とても些細かな?でも私にはかなりのリアリティをもって感じられたのだった。
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