アニマル・サンクチュアリについて(+α)
ついにニュージーランドはウェリントンのアニマル・サンクチュアリに来た。実際には十日くらい前に来ていたのだけど、仕事が結構詰まっていてじっくり何かを書く時間がもなかった。朝夕の餌やりがあり、その間には小屋作りの手伝いや雑草抜き、その他もろもろの仕事(あるいは仕事をせねばというようなプレッシャー)がある。でもまず、「アニマル・サンクチュアリ」というこの聞きなれない単語について解説しておくのも悪くはないだろう。
アニマル・サンクチュアリは文字通り動物達のためのサンクチュアリだ。すなわち、人間以外の動物のことを文字通り「煮ても食っても」構わない所有物としてしか認めないこの残酷な社会における唯一の避難所だ。ここで動物達は人間に乳や卵、胎児、毛や皮、そして究極的また本質的には自らの死を提供させる人間による搾取/収奪という運命から逃れ、自らの自由な生を最期まで全うすることができるーもちろん完全ではなくとも少なくとも、そのような理想の下に動物達はアニマル・サンクチュアリに引き取られる。時に、牛豚鶏などの畜産において利用される動物を特定するためファーム・アニマル・サンクチュアリとも記され、また野生動物のためのそれや動物実験から引退したチンパンジーのためのサンクチュアリもある。端的に言って、ここで動物たちは手段ではなく目的として扱われる。彼らの生は、人間のために奉仕する限りにおいてではなく、生そのものにおいてその価値を認められる。アニマル・サンクチュアリはアメリカにおいて発祥したと言えそうだが(*1)、現在は産業化された多くの国々において存在している(*2)。
私が訪ねることになったアニマル・サンクチュアリは「Black Sheep Animal Sanctuary」という(*3)。おおよそ10年前、2009年11月に門を開いた比較的若いサンクチュアリだ。2006年5月に立ち上げられた「The Animal Protection Society」という慈善団体の内部で、より急進的な運動の必要を訴える活動家たちの努力によりつくり出されたのだという(*4)。ニュージーランドの首都ウェリントンから北へ約1時間半の距離にあるオタキに位置し、ウェリントンに2箇所、オタキに1箇所ある「Opportunity for Animals」と名付けられたリサイクルショップを主な収入源としている(*5)。労働力(と呼んでも良いか)はウーフやワーカウェイ(*6)を通して補給される。最初は一人でやりくりしていたニュージーランド出身の活動家が2年あまり前にドイツから訪れたウーファーがカップルになり、現在はその二人が中心的に運営を担当している。ちなみに彼女らはレズビアンカップルであり、ドイツ出身の彼女はパートナービザでニュージーランドに滞在している。
こういう端的な事実を知るだけでも自分がいかに堅苦しい場所から来たかを思い至るというものだ。同性のパートナーでもビザが下りるということは、日本で生まれ育ったらあまり想像したことがないかもしれない。このことに加えて即座に思い浮かぶことがいくつかある。現在ニュージーランドは38歳の女性が首相で、6週間だが産休も取ったということ(*7)。また海洋プラスチック汚染を懸念して(*8)、ニュージーランドでは同首相のイニシアチブのもと今年8月に今後1年を通してビニール袋全面廃止を決定したということ(*9)。政治といえば中年〜老年男性のものというイメージは女性議員率なんと13.7%、世界第140位という事実によってあまりにはっきりと裏付けされているし(*10)、日本は一人当たり廃プラスチック産出量世界第2位にもかかわらず(*11)(プラスチックゴミ海洋排出量一位は中国であるものの、中国は人口が多いのはもちろん、その多くのプラスチックは元を辿れば日本をはじめとする国々から輸入されたものだー少なくとも、中国が突如プラスチック輸入停止を宣言するまでは)、第1位のアメリカと並んで自国におけるプラスチック規制を求める「海洋プラスチック憲章」にすら署名するのを拒んだ(*12)。日本でのいろんな「当たり前」がいかに他の社会ではすでに問いに伏せられているものなのかがよくわかると思う。
もちろん必ずしも欧米のような社会がモデルを示している訳ではないと思う。プラスチック個人排出量第3位はEUな訳だし、女性や性少数者の地位が向上したとしても移民や世界の移民にも行けず飢えや戦争で苦しむ人々、そして様々な目的のために利用される動物たちが虐げられていたなら、やはり根本的な問題解決とは程遠いからだ。けれどもそのための小さなステップすら未だに踏み出せていないのが日本の状況だろう。性少数者はもちろん女性の政治家もほとんどおらず、民族学校も認められず、アニマル・サンクチュアリはもちろん動物福祉の認証すら存在せず(もちろん動物福祉で十分ということではない。「動物に福祉があり得る」という考えすら多くの人々の想像から欠如しているということだ)、ビニール袋も使い放題なのだからーいや正確にはやっとの事で有料化された。けれどもその数多くの反対意見から見えてくるのは世間の認知はまだまだで、そのための努力もなされていないという現状だろう。
かなり本題から外れてしまった。とりあえず今回はブラックシープ・アニマル・サンクチュアリの基本的な説明ということで留めておこうと思う。
(*1) より詳しくは、http://www.hachidory.com/animal/00/id=451を参照。しかしファーム・サンクチュアリは規模が大きくなり寄付が集まりにくくなるためにより小さなサンクチュアリができるのを嫌う傾向にあるようだ。ちょうど今、ブラックシープで一緒にボランティアをしている子から聞いた話だけれども。
(*2) 世界のアニマル・サンクチュアリは例えばこのようなサイトで閲覧できる。 https://www.vegan.com/sanctuaries/
(*3) http://www.theblacksheep.org.nz/black-sheep-animal-sanctuary.html
(*4) http://www.theblacksheep.org.nz/animal-protection-society.html
(*5) http://www.theblacksheep.org.nz/opportunity-for-animals.html
(*6)http://tabi-woman-blog.com/travel-tips_how-to-travel-cheaply_workaway/
(*7) https://www.bbc.com/japanese/45040838
(*8) この問題についてはこのサイトが詳しい。https://marineplastic.net/marinedebris
(*9) https://www.jiji.com/jc/article?k=2018081000798&g=int
(*10) https://www.globalnote.jp/post-3877.html
(*11)https://env-eco.net/635.html
(*12)https://sustainablejapan.jp/2018/06/11/ocean-plastics-charter/32561
アニマル・サンクチュアリは文字通り動物達のためのサンクチュアリだ。すなわち、人間以外の動物のことを文字通り「煮ても食っても」構わない所有物としてしか認めないこの残酷な社会における唯一の避難所だ。ここで動物達は人間に乳や卵、胎児、毛や皮、そして究極的また本質的には自らの死を提供させる人間による搾取/収奪という運命から逃れ、自らの自由な生を最期まで全うすることができるーもちろん完全ではなくとも少なくとも、そのような理想の下に動物達はアニマル・サンクチュアリに引き取られる。時に、牛豚鶏などの畜産において利用される動物を特定するためファーム・アニマル・サンクチュアリとも記され、また野生動物のためのそれや動物実験から引退したチンパンジーのためのサンクチュアリもある。端的に言って、ここで動物たちは手段ではなく目的として扱われる。彼らの生は、人間のために奉仕する限りにおいてではなく、生そのものにおいてその価値を認められる。アニマル・サンクチュアリはアメリカにおいて発祥したと言えそうだが(*1)、現在は産業化された多くの国々において存在している(*2)。
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フレンドリーな羊。 |
私が訪ねることになったアニマル・サンクチュアリは「Black Sheep Animal Sanctuary」という(*3)。おおよそ10年前、2009年11月に門を開いた比較的若いサンクチュアリだ。2006年5月に立ち上げられた「The Animal Protection Society」という慈善団体の内部で、より急進的な運動の必要を訴える活動家たちの努力によりつくり出されたのだという(*4)。ニュージーランドの首都ウェリントンから北へ約1時間半の距離にあるオタキに位置し、ウェリントンに2箇所、オタキに1箇所ある「Opportunity for Animals」と名付けられたリサイクルショップを主な収入源としている(*5)。労働力(と呼んでも良いか)はウーフやワーカウェイ(*6)を通して補給される。最初は一人でやりくりしていたニュージーランド出身の活動家が2年あまり前にドイツから訪れたウーファーがカップルになり、現在はその二人が中心的に運営を担当している。ちなみに彼女らはレズビアンカップルであり、ドイツ出身の彼女はパートナービザでニュージーランドに滞在している。
こういう端的な事実を知るだけでも自分がいかに堅苦しい場所から来たかを思い至るというものだ。同性のパートナーでもビザが下りるということは、日本で生まれ育ったらあまり想像したことがないかもしれない。このことに加えて即座に思い浮かぶことがいくつかある。現在ニュージーランドは38歳の女性が首相で、6週間だが産休も取ったということ(*7)。また海洋プラスチック汚染を懸念して(*8)、ニュージーランドでは同首相のイニシアチブのもと今年8月に今後1年を通してビニール袋全面廃止を決定したということ(*9)。政治といえば中年〜老年男性のものというイメージは女性議員率なんと13.7%、世界第140位という事実によってあまりにはっきりと裏付けされているし(*10)、日本は一人当たり廃プラスチック産出量世界第2位にもかかわらず(*11)(プラスチックゴミ海洋排出量一位は中国であるものの、中国は人口が多いのはもちろん、その多くのプラスチックは元を辿れば日本をはじめとする国々から輸入されたものだー少なくとも、中国が突如プラスチック輸入停止を宣言するまでは)、第1位のアメリカと並んで自国におけるプラスチック規制を求める「海洋プラスチック憲章」にすら署名するのを拒んだ(*12)。日本でのいろんな「当たり前」がいかに他の社会ではすでに問いに伏せられているものなのかがよくわかると思う。
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ボランティアのための宿泊施設の一つである キャラバンには、「みなが自由であるまでは 誰ひとり自由ではない」という言葉が記され ている。その横はやはりというか、性少数者の シンボルのレインボーカラー。 |
もちろん必ずしも欧米のような社会がモデルを示している訳ではないと思う。プラスチック個人排出量第3位はEUな訳だし、女性や性少数者の地位が向上したとしても移民や世界の移民にも行けず飢えや戦争で苦しむ人々、そして様々な目的のために利用される動物たちが虐げられていたなら、やはり根本的な問題解決とは程遠いからだ。けれどもそのための小さなステップすら未だに踏み出せていないのが日本の状況だろう。性少数者はもちろん女性の政治家もほとんどおらず、民族学校も認められず、アニマル・サンクチュアリはもちろん動物福祉の認証すら存在せず(もちろん動物福祉で十分ということではない。「動物に福祉があり得る」という考えすら多くの人々の想像から欠如しているということだ)、ビニール袋も使い放題なのだからーいや正確にはやっとの事で有料化された。けれどもその数多くの反対意見から見えてくるのは世間の認知はまだまだで、そのための努力もなされていないという現状だろう。
かなり本題から外れてしまった。とりあえず今回はブラックシープ・アニマル・サンクチュアリの基本的な説明ということで留めておこうと思う。
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お尻を寄せて昼寝している豚たち。 |
(*2) 世界のアニマル・サンクチュアリは例えばこのようなサイトで閲覧できる。 https://www.vegan.com/sanctuaries/
(*3) http://www.theblacksheep.org.nz/black-sheep-animal-sanctuary.html
(*4) http://www.theblacksheep.org.nz/animal-protection-society.html
(*5) http://www.theblacksheep.org.nz/opportunity-for-animals.html
(*6)http://tabi-woman-blog.com/travel-tips_how-to-travel-cheaply_workaway/
(*7) https://www.bbc.com/japanese/45040838
(*8) この問題についてはこのサイトが詳しい。https://marineplastic.net/marinedebris
(*9) https://www.jiji.com/jc/article?k=2018081000798&g=int
(*10) https://www.globalnote.jp/post-3877.html
(*11)https://env-eco.net/635.html
(*12)https://sustainablejapan.jp/2018/06/11/ocean-plastics-charter/32561
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