ソウルのヴィーガン・カフェ『PPURI On the Plate』

今日は、最近気になっていたソウルのヴィーガン・カフェに行ってみた。

『PPURI On the Plate』というところ。

イテウォンにある『Plant』に友人の紹介で行ってみてから、ソウルのヴィーガンカフェで検索してみたところ見つけた場所。
一回目に行ったときはお休みだったので、今回はリベンジでもある。

恵化(ヘファ)駅三番出口を出て二つ目の大きな道を右折し、
道が大きく右手に向かって曲がっていくところで左手の道を行くと、
坂になっている右手にPPURIはあった。

中は想像以上にこじんまりとしている。
5、6人座れる大きなテーブルと、窓際の二人席、そして壁に面したカウンターのみ。
ケーキは今日は4種類。
プレーンとチョコはケーキの上にシロップのコーティングがされている。
それと、にんじんを使ったパウンドケーキ、そして黒ゴマを使ったカップケーキ。

最初はさっさと店内で穀物コーヒーを飲んでおいとましようと思っていたのだが、
店内で本に出会って、結局プレーンケーキも一緒にいただいた。

その本がメラニー・ジョイMelanie Joyという著者の、『私たちはなぜ犬を愛し、豚を食べ、牛を着るのか?-肉食主義入門Why We Love Dogs, Eat Pigs, and Wear Cows: An Introduction to Carnism』という本。
まだ韓国語訳でちらちらとしか読めていないけれど、訳者あとがきには「肉食主義Carnism」という言葉が「敵」を、問題を明確化するための著者の造語であったと記されていたのが印象深かった。

最近菜食を意識的に始めるようになって、これまでの自分の生活も振り返りながら、
「肉食」ということが一つの対象として捉えることすらできていなかったことに気づかされるからだ。
「菜食」だったり「ベジタリアン」という言葉が一部の「特殊」な人たちを指し示す言葉として存在しているのに対して、「肉食」はというと、「当然」、「自然」過ぎて名前がつかないできた。
この社会(日本も韓国も)では、菜食が特殊なものとして浮かび上がるのに対して、肉食はあくまで透明な位置にある。
無自覚な肉食。
でも、そうして何となく口にする食べ物が、一体どこから来たものか、知っている人は多くない。
当の私も、少し前までは知らなかったし、今のようにインターネットが発達していなかったらここまですぐには知ることも出来なかった。
けれど、知ってしまうと、それは重く心にのしかかる。
たとえば、豚が、泥遊びが大好きで、人懐っこくもあり、また犬よりも知能が高いこと。そしてそれゆえストレスを溜め込みやすく、ほとんどの豚が胃潰瘍を持っていること。豚はストールという、鶏はバッテリーケージという檻に閉じ込められて一生を、それも寿命のほんの何分の一にも満たない生を終えるということ。卵を生産する鶏を生産するために、雄の雛は生まれたらすぐに殺処分されてしまうこと…。

コーヒーも持ち帰りができるが、できるだけゴミを出したくないのでタンブラーを持ってきてもらえると有難いとのこと。そしたら量も多めに入れてくれるし500ウォンの割引もしてくれるよう。
小さなことまで、でもそうした小さなことこそ大切だという心を持ってらっしゃるのが印象的な、若いご夫婦だった。穀物コーヒーはアメリカで作られたものを炒って、最後にレモンも加えるとのこと。確かにさっぱりとした後味がおいしかった。

それにしても、帰りに通った南大門市場でアジュモニから買ったソンピョン(韓国式のおまんじゅう)は5個で1000ウォン。よもぎのおもちのなかにほんの少し甘い豆のあんこが入ったものと、黒豆らしき豆をまぜたものを混ぜてくれた。
菜食ときばって特別なことをするのではなく、地元の、その土地に根付いたものを活かしながらやっていくのが基本だな、と思う。

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